KUROYA TOMOYA WEB

恒藤恭『旧友芥川龍之介』p19

 私たちは好んで上野の不忍の池のほとりを散歩した。蓮は彼のこのむ植物の一つであつた。私また幼時から蓮がすきであつた。しかし敗荷のおもむきを解することにおいて、彼は私よりはるかに先んじてゐた。
 時に郊外に足をのばしたこともあつた。野外で弁当をたべるやうなことは嫌いであつた彼ではあつたけれど、くぬぎ林のかげなどで一緒に握飯の包をひらいたことも無いわけではなかつた。むさし野の林をわたるしぐれの音は、彼のこころから愛した所であつた。
 一般的には、彼は自然の美の観照において極めてするどい感覚をもつてゐたけれど、自然に対する彼の態度は、観照者のたたずむ界線の此方に執念深く留まつてゐた。それを踏みこえて、謂はば自然のふところに抱かれることを少年の時からねがうてゐた私にとつては、さうした彼の性向は、意地悪くも、物足りなくも、はがゆくも感じられた。
 かうした方角には、私たちに共通でないところの離ればなれの世界がひろがつてゐた。

恒藤恭『旧友芥川龍之介』p19

恒藤恭『旧友芥川龍之介』p19 恒藤恭『旧友芥川龍之介』p19 Reviewed by 黒谷知也 on 12/03/2014 Rating: 5